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音とのつながり

自然と共に生きる生き方と楽器、音楽

 

僕にとってのドラムセットという楽器は、13歳の時に初めて音楽に触れた原初の楽器。まさに苦楽を共にしてきた最良のパートナー。ドラムを前にすると様々な経験が蘇り、音楽としての表現の幅が広がる。

僕の楽器での表現の源は、これまでの様々な音楽的経験から得たものが基本となる。楽器演奏は「ボディー・マインド・スピリット」の3つの柱のバランスがいかに大切なのかを共演させていただいたジャズやロックシーンの名プレイヤーから教わった。

 

ただ僕は音楽の現場と並行して別な世界観を持っていた。どうしても自然、とりわけ「野生」という世界に惹きつけられ、まるで呼ばれているかのように度々山の中、森の中に脚を踏み入れるようになっていた。現代社会として人間が作った時間軸の世界から抜け出し、宇宙と月と地球にもともと存在する緩やかで揺らぎある時間軸の世界観を肌で感じ始めていた。自然に対して敬意を表し、生態系の一部として存在する人間のあり方。そしていつの間にか山の中で暮らすようになっていた。山の中に暮らす僕の周りには溢れんばかりの自然の音が存在し、自分と共にある…

遠くからやってきて吹き抜けてゆく風、揺らめく樹々、石にぶつかりながら止まることなく流れる水、太陽に照らされ霜柱が溶けてゆく土、雪原の全く無音の空間、そして明け方の地球の自転…

 

その地球の上で様々ないのちがそれぞれの役割を持ち「生きている音」が響き渡る。様々な野鳥たちのさえずり、遠くから響いてくる真夜中の鹿の声、近くだが姿が見つけられないフクロウの低い声、夏にはたくさんの虫たちがそれぞれ声を出し、オーケストラを常に響かせ、人間の子供たちが裸足で駆け回って楽しそうに遊んだり、大声で泣いたり…

 

それらのいのちの営みの「音」が光となり、僕を包み込んでくれる。

 

僕の中の「音」は、あらゆるいのちの営みであり「音楽」とは、幸せにそのいのちを全うするためのちょっとしたお祭りのような存在。絶え間なく続くいのちといのちを、幸せを伴ってつなぎ合わすのが「音楽」。そしていのちを包み込んでくれている母なる地球を労わるのも「音楽」ができる大事なこと。

 

ドラムセットで演奏する時、僕は最も自由を感じられる。体全体を楽器と一つにして、意識を「自然、いのち、地球」に向ける。自然の中で遊んでいるように音楽の中で遊び、楽器と戯れている感覚を大事にして、音楽的表現と僕の生き方がミックスされた表現に命が宿る。可能であれば僕の音楽が「新鮮な空気や水と同じ存在としてあれますように」と願いを込めて…

 

それを表現できる可能性を持った楽器がドラムセットでありパーカッションであるが、とりわけドラムセットという楽器は僕の中の軸として太く強く存在感を持っている。 

 

アフリカン・ドラムやバラフォン(アフリカの木琴)などのパーカッション類はより大地とつながりたい時に、クリスタル・ボウル、特殊なベルやゴングなどはより天とつながりたい時に、とその時の状況によって叩き分け「今」という時の中にある情報をできるだけ漏らすことなく「音楽」として外に出し、次につなげてゆくことを常に心がけている。

 

Akihito Taniyama STORY#1

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